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ハースストーンのコーチングを受けた話/その2「最強の手が最善の手とは限らない」

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ハースストーンのコーチングをたれべあさんから受けた話の続きです。


たれべあさんは僕の手なりのプレイを観察して、ふだんのプレイの問題点を見つけてくれました。そのひとつは、


攻め側にいるとき、勝ちすぎの手を出したがる


ということでした。

今日はこのことについてお話します。

 

勝ちすぎの手とはなにか? どうしてそれがいけないのか? どうすればそれをしないですむようになるのか? 温存と、勝ちすぎないことに違いがあるのか? そういう疑問のすべてに、たれべあさんは答えを出してくれます。ちょうど僕のような、ランク5帯からレジェンドを目指している方にとって気づきのある記事を目指します。よろしければご覧ください。

 

攻め側と守る側

勝ちすぎの手とはどういうことか?それをお伝えする前に、まず攻めと守りについて説明します。


ここから、たれべあさんの説明をお借りして。

 

  • ハースストーンには実は攻め側と守る側がある。 
  • アクティブターン側プレイヤー=攻め側という意味ではない。
  • 優勢なほう=攻め側という意味でもない。
  • デッキタイプによって「攻めたいデッキ」「守っていたいデッキ」がある。
  • 総合的に判断して、自分が攻める側なのか、守る側なのかを考える。
  • 相手の思惑で「攻めさせられている」「守らせられている」というときもある。

 

という、要するに戦況把握の考え方があるのだそうです。 


恥ずかしながら僕はこれをほとんど意識したことがありませんでした。ターン制バトルではあるけど、自分の番がくるときはいつも攻め側だと思い込んでいました。でも、戦況をよく理解すると、「わざわざ守りを強いられている」とか「相手を休ませないために攻撃の手を途切れさせない手をうつ」とか、そういう広い意味での攻めと守りがあることに気がつきます。


勝ちすぎの手とは?

で、僕の問題点。勝ちすぎの手を打ちたがること。これは噛み砕いて言うと、攻め側に回っているときに、必要以上の攻めるための手札を使ってしまうこと、です。


たとえば進化シャーマンを使っていて、5ターン目に都合よく魔古からラグナロスが出てきてくれた。盤面を評価すればこちらが大いに攻める側。おまけにラグナロスの横には高スタッツのミニオンも出ている。で、ここで僕は6ターン目に余っていたマナでサバクウサギをプレイしました。よっしゃー、血の渇きブラフだぜ、進化スペル引いてないし引いててもラグナロス巻き込んじゃうから使いづらいけど、横展開こわいだろ、ほらこわがれこわがれ、さっき聖別見たから2枚目をすぐには撃ってこないだろー、あとマナぴったり使えてよかったなぁ、ミニオンいっぱい出せたから次のターンめっちゃ攻撃するぜーイエイ☆ はい、これが必要以上の悪手、勝ちすぎの手です。


僕のプレイのクセはここにあります。つまり、マナをできるだけ使い切りたい。使い切って打点を1でも2でも上げたい。ほんのわずかでも総攻撃力を増やして、最大火力の、最強の殴り方でやっつけたい。だって最強が強いから。強ければ勝つから。最強は最強だから。 


でも、違いました。


最強の火力の追求は、ぜんぜん最善手ではなかったのです。


そのことをたれべあさんは丁寧に丁寧に教えてくれました。


なぜか、よく考えてみます。こたえは簡単。ラグナロスと高スタッツミニオンの2つをしばらく生き残らせておくだけで、十分に勝てる見込みがあるから、です。サバクウサギを出して打点が3伸びることで、勝利可能なターンが短くなるわけではなく、勝ちに貢献する手にはなっていないという点にも注意が必要です。


こういう考え方が、僕のなかにはすこーんと抜けていたわけです。


どうして勝ちすぎの手がよくないのか?

勝ちすぎの手の問題は、勝利貢献度の低さのほかにもう一つあります。後続ターンでの継戦可能性を失ってしまうということが大問題なのだと、たれべあさんはおっしゃいました。


進化シャーマンにおけるサバクウサギとは、進化とからめてリーサルさえ狙えるポテンシャルをもった最重要カードの1枚です。これが手札にあれば、仮になんらかの全体除去を撃たれてラグナロスをふくむこちらの盤面が空にされてしまっても、また盤面を取り戻して攻めを途切れさせないですむかもしれない。その可能性を自分から捨ててしまうことが、勝ちすぎの手が招く深刻なマイナスです。


付け加えて言えば、全体除去を相手が撃ってくる=盤面処理に困っている守り側の行動であり、空にさせられた盤面をそのまま相手に返してしまうことになれば、今度は相手がミニオンをおいて攻め側に転じてしまうかもしれません。


でもサバクウサギがいればどうでしょう? 進化とからめられれば4マナミニオン3体を出せて、対する相手は全体除去をうった空の盤面のまま。さっきこちらの盤面をきらって全体除去をわざわざ使ったのに、あれ、またすぐこれも処理しなきゃいけなくなった。こまったぞ。という状況を押しつけられるかもしれない。


そこまで見越して、あえてマナを残し、手札を残してでも、継戦可能性が高いカードを強く保持しておく。出しすぎない。攻め側で勝ってるなら、必要以上にカードを使わない。それを可能とするのが、勝ちすぎの手を戒める視点だ、ということ。


なるほどーー!!!!


温存とはちょっと違う

ここで僕はたれべあさんに尋ねました。先生!つまり、カードを温存する。ってことですか?と。ところが返ってきた答えは意外なことに、


「んー、ちょっと違います。あくまでも『勝ちすぎない』なんです」


と。
おおおお!??? 温存と、勝ちすぎないとは、ち、ちちち違うぅぅぅ!?

 

「はい。勝つことが目的です。強い動きをすることは目的ではなく手段にすぎません」


……。

…………。
……………………。


あー、ふむふむ。うん。


そうか!


温存とは必殺の逆転カードをここぞという時まで隠し持っておくこと!


一方「勝ちすぎない」は「やる意味のうすいプレイをしないですませる」の話か!


これはたしかに似ているようで全然違います。温存は温存で意味があり、勝ちすぎないプレイには勝ちすぎないプレイで勝つチャンスを作れる。それぞれの概念にそれぞれなりの役があるので、よく整理し、混同しないように使い分けることが大切なんですね。


ここまでの一旦まとめ

おわーーー、たれべあさんのコーチング濃密すぎて書きたいことが多すぎるのじゃよー!


で、で、で! ここまでを読んでいただいてもよーく分かると思うのですが、ご注目いただきたいのは


え、macomoって下手じゃね???www


ってことなんです。


こいつ、偉そうなこと言ってるけど知らないこと多過ぎでしょ!みたいなね。マナ余らせたくないプレイとか、手札つっこみすぎとか、後続ターンへの気配りを意識したこともないとか、カードゲーム初心者まるだしかよ!って、うまい人からは笑われちゃうかもしれないんですけど、なんとなんと、こんなガバガバなプレイヤーなんですが、意外や意外レジェンド到達しちゃったことあるんです(唐突な自慢)。


いや、石投げないで! モヤッとボールにして! 


何が言いたいかというと、これくらいの低スキルなんだけど、僕はたれべあさんにご指導いただくまで、もう反省点が見つからないでござる~と本気で思っていたし、ミスプレイが少ない思考型プレイヤーだぜって思いこんでて、もうこれ以上強くなる方法思いつかないよ~、って悩んでいたんです。ははは。


でも、全然、全っ然違いました! あるわあるわ、弱点、反省点、プレイミスのライトニングストーム! ということは、伸びしろがあるということですよね! この気付きがうれしかった。

 

輪をかけて驚くべきことは、これほどの伸びしろだらけなのに自分一人ではちっともそれに気がつけないということ。余白のなかにいると、そこが真っ白であることに不思議と気がつかないものなんですね。


たれべあさんのコーチングとは、客観的な視点からプレイのクセを分析し、その弱さを克服する道しるべを示してくれるセッションのことでした。


コーチングはまだ続きます。
ここから、さらに僕のなかのハースストーン観を変える気づきを得る話になるのですが、それは次回をお待ちください。

 

ハースストーンのコーチングを受けた話/その3「選択肢を示す、選ぶ、比較する」