ハースストーンと愛妻、あと好きなもの

3児の父・社会人ハースストーンファンの趣味と備忘録

ある雑魚ハースストーンプレイヤーの誤解と反省

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こんにちは、macomoです。

今日はハースストーンのことを書きます。

 

今よりもっともっと弱かった過去の僕に捧げる記事を書きます。

自分自身の過去をふりかえって、いまよりもっと弱いプレイヤーだった時に一体どんなことを考えていたのかを思い出せるかぎり書いていきます。つまりこれは思考の整理であり、敗北の歴史でもあります。あるいは、弱かった自分がプレイ時間のどこかに置いてきた、今では納得しづらい古びた考え方です。

 

どうしてそんなことをわざわざ書くのか?それは、第一に自分のためです。過去をつづり、今を知ることで、成長の証を記録したいからです。また第二に僕の経験を反面教師とすることで、これからもっと成長していくほかのハースストーンプレイヤーのお役に立てるかもしれないと考えました。こういうことをもっと早く知りたかった!と僕がいま思っていることを書く、ということでもあります。

 

記事は大まかに4つの段落に分けました。使用デッキの思い込み、プレイと運の関係、動画勉強を怠ること、自分で自分の限界を決める愚かさ、の4つです。ありがちな誤解を解き、弱気になりそうな心をいくばくか健康に保つためのお役に立てる記事を目指しました。文字だらけの地味な記事ですが、よろしければご覧ください。

 

誤解その1:デッキはオリジナルに限る

僕がカードゲームをやるにあたって固く信じていた一つの思い込みがあります。デッキは必ず自分で作らなければならない、というものです。自分で作ったリスト以外のものは使いたくないという考え方。他人が組んだデッキを使うのは、ズルで、怠慢で、恥ずかしいことだ、とすら思っていました。

 

 

ハースストーンで言えば、ラダーに挑むための30枚は1枚残らず自分の判断のみによって選び抜かねばならない。広大なカードプールから選ぶ30枚の組み合わせはまさに無限。それがほかのだれかと丸かぶりしていることなど偶然ではありえず、リストが同じであればそれはパクリだ、オリジナリティの欠落だ、恥ずかしいことなんだ、と。だからツイッターで流れてくるレジェンド達成レシピや、大会で使われたデッキなどのコピーはしません。真似は良くない、他人のもので勝ってはいけない。そんな意味不明で根拠薄弱な自分ルールに縛られて、当然僕は弱いままでした。

 

これは今でははっきりと否定できますが、大間違いでした。

 

デッキレシピがまったく同じであることはパクリでもなんでもありません。勝率によって導き出された「強いカード」の集合が、結果的に同じ組み合わせになって「強いデッキ」になるだけの話です。強いカードがより強いカードと置き換わり、上級者のプレイの中で合理的に洗練されることで、本当に強いデッキが磨き上げられていく。そんな当たり前のことを僕は理解していませんでした。

 

デッキは完全オリジナルに限る――この考えをやめ、強い人が使っているデッキをそっくりそのまま使うのが勝つための近道です。カードが2枚ずつ入っていることにもきちんと意味があり、コストごとに入っている枚数が違うことにちゃんと理由がある。そういうことを自分で分からないうちは、無心に上級者のデッキを真似て使うほうが上達のスピードは間違いなく上がります。

 

 反省:強いデッキには強いなりのワケがある。

 

 

誤解その2:強い人は運が良すぎるだけ

強い人のデッキを真似ても思うように勝ち星が稼げない頃に思っていたことは、こうでした。マリガンが悪いから勝てない。運が悪いから勝てない。同じデッキなのに上位者と同じだけ勝てないのは、僕が弱いからじゃなくてただ運が悪いんだ、と。ひるがえって、上位者ってのはみんなとんでもない剛運の持ち主なんだ!と、そう決めつけていました。強いはずの僕がこんなにも勝てない弱くてダメダメでぜんぜん都合のいい時に欲しいカードが来ないデッキなのに、上位者はこれで勝率60%近くを維持できるなんておかしい、卑怯だ、説明がつかない、運良すぎだろーが!と。いま思えば、なんたる傲慢でしょうか。

 

説明がつかない、というのはあまりにも視野が狭かったと反省せざるを得ません。

 

同じデッキを使ってデッキの平均勝率と個人成績とにものすごい乖離(平均55%くらいのもので個人成績が20%とか)が生じる場合、それは運のせいではなく、完全にプレイに原因があります。デッキのメカニズムと目的を理解していないか、カードの効果を勘違いしているか、プレイングの基礎を習得していないか、そのどれかが原因です。

 

僕の場合はそれら全部でした。どんなデッキにも目的(勝利プラン)と、それを達成するためのカニズム(理想ムーブ)があります。しかし、カードの効果を誤認していればメカニズムは機能不全を起こします。ところが僕はデッキごとの目的という概念をもっていなかったため、「デッキは相手の体力を先に減らしきるために強いカードを30枚詰め込んで、引いた順番にそれっぽく工夫して出せば勝つ」くらいの浅~~~~いとらえ方をしていました(恥ずかしい!!)

 

また、ごく初歩的なフェイスorトレードという概念も知りませんでした。「なんとなくあのミニオンは危険そうなので倒す。次の相手のターンになにをやってくるかなんて相手の気持ちと手札しだいで変わるし分からないし予想しても無駄なんで、なんかさっき殴られて負けそうだし殴りたい気分だから相手本体にアタックしておこうかなー」くらいの無批判・無思考の感覚的判断だらけでした(超恥ずかしい!!!!)

 

そのころの僕は本気で「相手の手を読むことは不可能だし無意味」と思いこんでいました。でも、本当は相手が次のターンにやってくるであろう手なんていくらでも読めるのです。ヒーロー、デッキタイプ、ターン数、手札の枚数、手の中のカードの位置、直前にしたお互いの行動、残りデッキ枚数、いまの流行り、などなど、次の行動を予想するための材料はたくさんあって、読もうと思えば相手が次にやってくるであろうことはだいたい数種類にまで絞り込めます。

 

肝心なのは、知識と想像力です。それをうまく利用すれば、運に頼らないでよい局面を導くことさえできます。上級者のテクニックとは、つまりそういうことです。運を味方にするのではなく、運に振り回されないでもすむ方法を知っている。それが弱い人との違いでした。運の良さに大差はありません。上級者とて、運にだけ頼っていれば平均勝率には届かないでしょう。運勢の魔物がからみつくハースストーンというゲームなればこそ、運に頼っていいのはここぞという時だけにしておいたほうが良いと思います。

 

 反省:運もテクニックのうち。

 

 

誤解その3:他人のプレイは見ても時間の無駄

続いて、僕が思っていた変なこだわりの一つに、プレイ動画を見ない、見たくない、というのがありました。ハースストーンは勝っても負けても自分でカードを使ってプレイしていることだけが楽しいのであって、自分じゃない誰かがやっているところを観戦したってそれは自分がやっているときの楽しさには及ばないだろ~、と。それは今でもけっこうそう思っています。それくらい僕はハースストーンが好きです。ハースストーンのすべてが好きというわけではなく、良いゲームに触れるという体験の味わいと、楽しいゲームをプレイしている自分自身が好きなんです。

 

でも、いろんな人が口々に言います。強くなりたければ強い人の動画を見ろ、と。え~~、動画見る時間があるなら自分でゲームしたいよー。15分、30分あれば何試合できるだろう。僕は僕が手を動かしてゲームをしている時が好きなんであって、視聴時間にハースストーンできなくなるなら退屈だよー。それにだいたいさ、上手い人の動画なんて見たって真似できるわけじゃないし。あれでしょ、株とかFXで儲けた人の投資指南本みたいなもんで、超運がいい人がたまたまラッキーで勝った再現不可能でご都合的な勝利ゲームを見たって、同じ初期手札、同じ敵、同じ順番でカードを引くなんてことはありえないわけだからそっくり真似できるわけなくて参考にならないし、見たって上手くなれやしないよー…………

 

黙らっしゃい!!!!!!!!

 

書いてて不愉快になってきた(笑)過去の自分の思考とはいえ、ムカムカしてくる!性格わるいよっ。

 

ともあれ、こういう考えは成長を阻害(そがい)します。動画を見ないでいい言い訳を並べ立てているだけです。今では考え方は変わりました。上級者のプレイ動画は示唆に富み、多くの発見を促してくれる上達の必須ツールです。

 

一応、過去の僕のためにも補足をしておくと、「プレイ動画に再現性なんかないから見るだけ無駄」というのは大きな誤解です。ハースストーンはめちゃめちゃ再現性に溢れたゲームです。同じ手、同じマリガン、同じ敵、同じ順番でカードを引くこと。そんなことはいくらでもあります。

 

厳密には、すべての順番、すべての局面が、動画とそっくりそのまま同じように繰り返されるということはもちろんないのですが、「局面の意味」という観点から見れば再現は何度も現れます。真に学ぶべきはそこです。上級者のプレイングは、局面の意味を知るのに役立ち、一手一手にこめられた説明可能な狙いを自分のものにするために見ればいいのです。

 

もしそうしたハースストーンの再現性の頻繁さを信じられないなら、それはまだプレイの回数が足りないのかもしれません。同じデッキを集中して使っているうちに、同じような敵に何度もあたり、それに同じ解決の手を下している自分に気が付く日がくれば、ここに書いてあることが嘘ではないと分かるはずです。

 

反省:急がば回れ。思考なき100プレイより学ぶ姿勢の1視聴。

 

 

誤解その4:自分はこれ以上強くなれない

そしてこれが最後の一つ。最後にして、今も僕の心から消え去ることのない悩ましき呪いです。

自分はもうこれ以上強くなれない。

過去何度もそう感じ、いまも確信に近いほどそう思い、これからもきっと繰り返し胸のなかにわき上がることでしょう。だから今の僕が、かつて今よりずっと弱かった僕にむけていま言っておきたいことはこれだけです。

 

「僕はお前より強い。超強くなったぞ。もう強くなれないなんて勘違いだったぞ」

 

僕は人より運が悪いから。マリガンが良くないから。都合よく手札がこないから。相棒からハファーが来てくれないから。ゲーム勘はいいのにハースストーンでは勝てないのは相手が重課金だからだ。論理的思考は身に着けているのにゲームに勝てないのは僕のせいじゃない、ゲームの仕組みが良くないんだ。あとミーシャだ。レオックだ。

 

それらはぜんぶ誤りです。思い込みを捨てて真面目に上達しようとすれば、ハースストーンはびっくりするくらい柔軟に受け止めてくれます。練習のしがいのある、とても奥深いゲームです。運と運以外のバランスはけっこう整ったゲームだと思いますし、もちろんミーシャにもレオックにも罪はありません。

 

あの頃の自分といまの自分が同じデッキでミラーマッチしたら、10回中8回は勝てるくらいの自信はつきました。もうこれ以上強くなんかなれないなんて、上には上がいることを知らない思い上がりのセリフでした。数か月後か数年後か、またこの記事をたまたま見返した時、僕はどんな顔をしているのでしょうか。楽しみなような、ちょっと怖いような。できることなら、「僕、この頃よりもっと強くなれてるわ!」と笑い飛ばしてみたいですね。

 

反省:限界と思ってる時ほど成長期。

 

 

 

まとめ

以上が、過去僕が僕を縛っていた弱者の思考です。もし、似たような考えがあって、いまよりハースストーンを上手くなりたいと思っているのでしたら、どうかこの記事をさいごに気持ちをリフレッシュさせてみてください。デッキの合理性を知ること。運のみを排除する手段がたくさんあること。動画から真似できることは少なくないこと。限界と思っていても案外そんなことはないこと。ゲームをさわりながらプレイングを磨くこともおろそかにはできませんが、ゲームをしていない時にも成長できる瞬間はきっとあるはずです。今回は、このあたりで。

 

それでは、また。