ドラクエ映画感想。僕は「勇者の父」の気持ちが分かった
こんにちは、macomo(まこも)です。
今日は、映画「ドラゴンクエスト Your Story」の話をします。
今年小学4年生になる10歳の息子と二人で観てきました。賛否両論ある話題の一本で、観る前から期待と不安がいりまじるドキドキの映画体験だったのですが、結論としては非常に感動できる最高の作品でした。
ということで、この記事では親子でドラクエの映画を観てきた私のごく個人的な感想を、おもに良かったところにフォーカスする内容でまとめています。
ドラクエVのファンが、映画をきっかけに「パパスになり」、映画をみたことで「天空の父になった」話です。
ドラクエが大大大好きだけど映画が酷評されているから観に行くことをやめよう、と思ってしまっている人に「食わず嫌いはもったいない!こういう観点で見れば十分楽しいよ!」ということを伝え、もう一度映画館に足をむけてほしいと願いながら書いています。
※なお、本記事には映画のネタバレを含みますのでご注意ください。
映画未見の方にぜひ映画へ行ってほしいと願いながらもネタバレを含むという大きな矛盾をはらんでいますが、「酷評を知って行かないと決めた人」はもうネタバレをくらっている前提として、ネタバレがあってもよいものという記事になっています。
逆に、肯定的なレビュー記事だと思って読みにきてくださった方で、映画にこれから行こうとお考えの場合は、この記事は映画を観終わってから読みに来てください。
パパスの気持ちが分からなかったあの頃
はじめに、僕のことをお話させてください。
僕は昔からのドラクエファンで、ドラクエVも小学生のころにやったドストライクの世代です。だからドラクエVには並々ならぬ思い入れがあります。あの頃、主人公になりきって本当にその世界のなかに入り込んで冒険した記憶があるし、大人になるまでに何度もクリアするまでやりこんだほど大好きなゲームです。ナンバリングタイトルぜんぶ好きですが、ベスト3を選ぶならVは間違いなく入れる、それくらいドラクエVというゲームを愛しています。
当時、最初のサンタローズの町にある洞窟に入っていくのが本当に怖かった。せみもぐらの攻撃でノックアウトされて気絶すると自分が死んでしまったような錯覚におちいったし、レヌール城でがいこつに囲まれたその夜は一人で寝室にいけないくらい怖くて怖くてたまらなかった。
もちろん、パパスは最高にかっこよかったし、パパスが好きだから自分の父親のこともちょっと好きになれたし、パパスと別れるときは本当に泣いてしまった。大切な人を失うという気持ちをはじめて学んだのは、たぶんドラクエVだったと思います。
大人になるまでの間に2周目、3周目・・・なんどもまっさらなセーブデータでやりなおしては、ちがう結婚相手を選び、ちがう仲間と冒険に出て、そのたびにドラゴンクエストって本当に面白いな、という気持ちを深めていきました。
そんな中、子供心にこんなことを思いながらゲームをしていたことをよく覚えています。
――将来、大人になったら自分の子供とドラクエVをやりたい。
子供のころ、いつか自分はあたりまえに大人になって、仕事して、結婚して、子供をさずかり育てていくふつうの人生が待っているんだろう、と漠然と思っていました。(それがちっともふつうでもあたりまえでもないんだってことには大人になってから気が付きました)
そんなふつうの大人になったとして、一番やりたいことはなにか。それは、同じようにゲームが好きな自分の子供と、自分が子供時代に熱中したソフトを、肩をならべて一緒に遊ぶこと。それも他ならぬドラクエVがいい。
なぜなら、ドラクエVは、子供が親になり、我が子に希望を託す物語だからです。
あの頃は主人公に感情移入するといってもまだそこまで「子の親」としての経験がない分だけ分からないこともたくさんありました。
具体的には、パパスの心情と、親になってからの主人公の気持ち。
これが、小学生だった当時の僕には、分かりませんでした。分かった気にはなれるけど真にせまって理解するほどには至らない、という謎だったのです。
けれど今。
三人の子をもつ親になり。
どうにかこうにか長男が小学4年生になるまで子育ての経験をつんできました。
気分はすっかりパパスです。自分こそがリアルパパスであり、またリアル青年後期主人公にグッと共感できるようになってしまいました。
ふつふつとわいてくる、「息子とドラクエやりたい夢」。
でも、ゲームといったらマイクラだけが大好きで、ロールプレイングゲームはぜんぜんやったことがない彼。対戦要素や攻撃したりされたりするのも嫌いです。息子に対して趣味の押し付けはしたくない僕は、彼にドラクエをむりやりすすめることはしてきませんでした。
それでも、ふとした時に、パパスの気持ちを想起して、息子とドラクエやったら楽しいだろうなという思いにかられることがありました。
その夢は今回の映画のおかげで実現したのです。
「パパ! おれ、この映画観たい! 超面白そう!!」
公開まで1か月以上ある、6月のことでした。
きっかけはテレビでやっていたドラクエ映画の宣伝。息子がたまたまそれにふれ、素晴らしい映像美に見惚れ、僕にこう言ってきたのです。
「パパ、ドラクエの映画やるんだって! 観よう!」
うれしくてうれしくてたまりませんでした。
子供のころからずっと愛してきた大好きなゲームに、可愛い息子が興味をもってくれている。それもドラクエという作品をろくに知らず、ドラゴンクエストビルダーズでしかドラクエを知らないマイクラネイティブ世代の彼が、先入観も予備知識もシリーズへの過剰な愛もこだわりもプレイ経験もなにもなく、ただ素直に、映画が面白そうという理由(と、パパがドラクエ好きだから)だけで僕にドラクエ映画いっしょに行こうねラブコールを伝えてきたのです。
僕はすぐさまipadでドラクエVのアプリ版をダウンロードしました。
その日から、僕たち親子は映画の予習と称してドラクエVをプレイしはじめました。ツボを割ること。タンスをあさること。かたっぱしから人に話しかけること。薬草はすこしあまるくらい持っておくこと。町で買えるいちばん強い武器を買うこと。木の実や種はつかわずにとっておくこと。つまりドラクエとはこういうものであること。世界中で、たくさんの大人たちがかつて子供だったころ、だれもが同じようにツボを割り、タンスをあさり、木の実や種を余らせていたんだよ、ということを僕は人生の先輩として彼に伝えました。気分はパパス、なんて生易しいものじゃありません。
僕はこの瞬間、パパスそのものでした。
世界の歩き方を知らない息子に、いちいち立ち止まってはホイミをかけ、敵をズバッと倒し、行くべき道をそれとなく示す。そうか、これがパパスのやっていたことだったんだ。完全に理解しました。あの頃いだいていたいつか自分の息子とドラクエVをいっしょに遊ぶという夢。それは、こういうことだったんだな、と。
サンタローズの洞窟におそるおそる突入する息子。
レヌール城で「怖すぎるからトイレ行くわ」と離席する息子。
僕が見てないうちに妖精の国編をクリアしてる息子。
ヘンリー王子が見つからなくてパパにガチ質問してくる息子。
パパスの最期に「え……!?」と絶句する息子。
フローラかビアンカか真剣に悩む息子。
結婚前夜に悶絶する息子。
やっぱりルドマンさんに話しかける息子。
デボラには話しかけすらしなかった息子。
最終的には、ビアンカと無事結ばれた息子。
親子でやる思い出のゲームは最高でした。
彼の可愛い姿を間近で見て、僕は息子のことがもっともっと好きになれましたし、反対に息子もパパのことをちょっと好きになってくれたんじゃないかと、そう思います。ともあれ、肝心かなめの「花嫁選択・結婚イベント」まで攻略し、最低限映画の予習はできました。さあ、映画にいこう!僕たち親子ふたりは劇場にむかいました。
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※ここから映画の内容にふみこんだネタバレがあります。映画未見の方でネタバレが嫌な方はここで閉じてください。
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編集術の妙技が冴えわたる見事な取捨選択
そしてむかえた映画の日。息子は何週間もドラクエのことばかり考えていたので期待のボルテージはMAXです。劇場へむかう道中でのうかれぶりは相当なものでした。
それとは対照的に、すでにネットで酷評の嵐が吹き荒れていることを知ってしまっていた僕は、息子と同じほどにはワクワクできずにいた、というのが正直なところです。ネタバレの核心こそ見ていないものも、どうやら終盤になにか往年のドラクエVファンをがっかりさせるような大仕掛けがあるようだぞ?ということまで察していた状態です。
果たして、映画の中身はどうだったでしょう。
それはそれは、本当に最高でした。
声を大にして言いたい。
本当に、本当に、本当に、めちゃめちゃ素晴らしい。
ドラクエを原作とした映画として、すごく良くできていた傑作です。
なにより、ストーリーのかいつまみ方が神懸かり的。
ドラクエVは親子3世代の人生をめぐる壮大な大河ストーリーなので、お話を2時間の映画におさめるには内容をかいつまんで見せなければなりません。自然、ダイジェストにならざるを得ず、イベントやキャラクターを絞り込む必要があります。ところが、このゲームにはものすごくたくさんのファンがいて、そのファンの数だけ「好きな名シーン」は違うでしょう。にもかかわらず、名シーンだらけの良ストーリーなので、なにを切り、なにを残して映画の形にするか?というのは、映画作りの素人からみても容易には回答しえない超難題だということが想像つきます。
この映画は、その取捨選択の計算が絶妙です。
たとえば、キャラクター。
物語をいろどるたくさんのキャラのなかで、ゲームでは重要な役割をもつあの人やこの人がいない。なんなら双子じゃない。なのに、きちんと成り立っている。
たとえば、設定。
ゲームで感動と驚きをもたらした、主人公の王家に関する設定や、それを知るために挑む(グランバニアへの経路としての)チゾット山道のダンジョン。これが映画では明確には語られません。なのに、きちんと成り立っている。
たとえば、イベント。
僕の息子が苦労してレベル上げしてやっと攻略した炎のリング取得イベントも映画ではカットされている。なのに、きちんと成り立っている。
反対に、ゲームに愛着をもってプレイしていたファンならあげるであろう名シーンの数々は、少なくとも映画の流れのなかでは一切の矛盾なくきわめて自然に、あますことなく描かれている。僕が個人的に大好きなシーンがあって、ヘンリー王子が人生でただ一度だけ主人公に詫びる「あのセリフ」もちゃんとあるから驚きました。
とにもかくにもダイジェストとして選択され、残されたドラクエVの要素が本当に本当に絶妙で、僕のような往年のファンでも「なるほど、ここをこう切ってここにこう繋げたか!それならここが描けるし、あれの説明にもなるし、ああああ、へえやるじゃん、、、、、えええええそれ切っちゃうの???ああああ、でもそうか、お見事!ここはなくてもこっちのあの感動はこれくらい維持できるのか、ほあああああああ、すげえよく分かってるやんんんんんんんんん!!!!」という、言うなれば編集術の妙技が冴えわたっているのです。
ファンが味わいたい感動の名シーンをできるだけ残し、シーンとして立て、しかも無理なく、少なくともこの映画の2時間の流れにおいては自然につなげ、かつダイジェスト感もぜんぜんない。これははっきり言って、そうとう深くドラクエVのシナリオを理解していないとできない特異な仕事だと思います。ファンがなにに感動し、どういうシーンにどんな熱をもって記憶にとどめいているか、誠実な取材と研究がなければ今回の映画はできなかったはずです。
天空の花嫁の可愛さがすさまじい
それからこの映画がなした偉大な仕事はもうひとつあって、それはビアンカとフローラの花嫁候補2人をそれはそれはとてつもなく途方もなく究極的最高にめちゃめちゃものすごく可愛く描いたことです。
これは言葉では言い尽くせません。
包み隠さずいうと、僕はポスターのビジュアルとかを見て、わりとビアンカとフローラについては評価をさげて身構えていたところがあります。見た目あんま可愛くないじゃん、と。
ところが、ところが!
動くとね。もうね。ほんと。やばい。
可愛さのベギラゴン。
魅力爆発メラゾーマなんですわ。
ゲームをプレイしただけでは決して味わえなかった、可愛いビアンカ。可憐なフローラ。そのどちらにも命があり、血が通い、呼吸をして、心をもっている。その姿がスクリーンにある。見た目も性格もそれぞれに魅力的で、ネット上で永遠につづく花嫁論争にこれ以上ないくらい説得力をあたえるほど、迷って迷ってあたりまえな可愛さを二人ともが放っていました。
俺の知っていたビアンカより遥かに可愛い。
俺の愛したフローラは想像以上に素敵だった。
そういう体験をするためだけにも、ドラクエVのファンはぜひ劇場にいったほうがいいです。賛否あるラストのためにがっかりすることもあるかもしれませんが、あれほどチャーミングな天空の花嫁を自分の目で見ずにこの先の人生をいきていくのはもったいないと思います。
僕の「天空の勇者」は隣に座席にすわっていた
そしてさいごに、また話は個人的な性質のものにもどります。
僕はこの映画を、最初、パパスの気持ちで観に行きました。無邪気にはしゃぐ息子をおともに、共通の趣味としてのドラクエ映画を楽しむ、ちょっとだけ人生の先をいくお父さん、それが僕だと思っていました。
でも、映画を観ている途中に、僕はパパスではなくなりました。
主人公になったんです。
それは、ドラクエVのゲーム最大級のネタバレでもある「天空の剣をあつかえる者」を見いだすシーンのことでした。ドラゴンクエストVというのは、ようするに「主人公は勇者じゃない。だけど、愛する妻とのあいだにもうけた我が子こそが世界を救う運命の御子だった」ということに集約されるお話なんですけど、映画でもこのシーンはものすごく大切に大切に、演出たっぷりに描かれていました。
主人公は世界を救う勇者を探して過酷な旅を続けます。それは亡き父の悲願。父もまた勇者を探し、主人公こそがきっと勇者本人なのだと信じて希望を託し、非業の死をとげてこの世を去りました。だから主人公にとってもかけがえのない人生の目標であり、ときには自分自身が勇者なのかもしれないと勘違いもしたりして、でもやっぱり自分には剣をあつかう神秘の力は宿っておらず……。いったい本物の勇者さまはこの世界のどこにいるんだろう?ああ勇者よ、この天空の剣を自在にふりまわす運命の御子よ、はやくバトンをうけとっておくれ!という気持ちをグングン膨らませながら物語を追いかけていく、というのが大きなあらすじです。
で、ついに。成就せり。天空を剣を真なる勇者が抜くシーン。
大きなスクリーンにひろがる感動の光景を見つめながら。
僕の意識はしぜんと、となりに座る可愛い息子のことにむきました。
あ。
この子だ。
この子が、僕の「天空の勇者」だったんだ。
そう思ったら、ツーっと涙があふれました。
勇者はいたんだ。
ここに。
こんなにも近くに。
僕はいいかげん自分が勇者じゃないことくらい知っています。そういう年齢になってしまいました。でも、息子はちがいます。小学4年生です。未来と可能性にあふれる、僕の自慢の息子です。可愛くて素直で、かしこく、やさしくて、勇気もある。なにより、同じスクリーンを見つめながらきっと「あ、僕だ!」って思っている。誰にも抜けなかった天空の剣をふりぬいてパパを大ピンチから救ってあげる選ばれし者。彼は僕が涙を流すシーンを同じように観ながら、笑顔で、わくわくして、楽しくて、かっけえええ!と素直に感じていたはずです。息子の感情移入の先は、勇者。だから、彼は勇者です。誰がなんと言おうと、僕にとっての天空の勇者はとなりの座席で映画を観ていた息子なんです。
こうして僕はパパスの悲願をはたし、
勇者の父になりました。
まとめ
以上が、僕と息子が観てきた映画ドラゴンクエストYour Storyのお話です。
かつて主人公だった少年が、映画公開までにパパスになり、映画鑑賞中に天空の勇者の父になる、というお話でした。きわめて個人的な体験で、普遍性はなく、客観的でもありません。でも、往年のドラクエファンから見ても、作り手がドラクエの良さを理解しようと思いながら創意工夫をこらした足跡は読み取れます。できるかぎり最高の取捨選択をしようと頑張ったことはひしひしと伝わってくるんです。理解が浅いとか、ドラクエを愛していない、という批判はやや的外れだと思います。内容面での評価でいえば、これはドラクエ愛にきちんと支えられている映画です。もし食わず嫌いで観に行くことをためらっているなら、僕が言っていることがどれくらい間違いか、またはそうでないか、確かめるためだけにも観に行ってほしいです。批判や反論や誤りの指摘は喜んでうけます。
それでは、また。